結局、「社会人」とはなんなのか

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より転載(というか移行)


社会人なんていなかった。


もとから「社会人」という、曖昧で都合よく意味が変わる言葉が嫌いで、できるだけ「会社員」なり「公務員」なり「労働者」なり「経営者」なり、適当な言葉を使うようにしていました。

  • 学生に対して社会人という時は、「学校を出て働いている人」程度の意味で使われるし、
  • 「教師は社会を知らないから」とかいう時は、「商売をしている人」みたいな意味で使われるし、
  • 「社会人としての常識」は単に特定の集団での常識でしかなかったりするし、

要は「社会人」という優れた集団があって、俺はそれに属してるけどオマエは属してないから俺はオマエより偉いんだ。

という謎の優越感によって自身の言動に正当性を持たせる用途でしか使われていないので、この言葉が嫌いです

とはいえ、定職に就いている人、くらいの意味で自分の中では納得しているし、話の流れで社会人と言うこともあります。

そこまで表現にこだわる性格でもないし。


昨年の4月からの1年間、大学院を休学してまで会社員をしていました。東証一部上場の立派な会社で、毎日9:30から18:00まで働いて、経済的にも自立できる月給をもらっていたので、まぎれもない社会人だったはずです。

ところが、「社会人」生活も2年目に入った先日、ある飲み会の席で、初めてお話する方に自分が大学院を休学して働いていることを告げると、

「えっ、じゃあまだ社会人ですらないんだ!?」

という衝撃的な言葉が返ってきて、頭に「???」が1億個くらい浮かびました。


あとから考えてみると、この衝撃的な言葉は、「社会人」という言葉の本質を表しているのかも、と思うわけです。

つまり

誕生→幼稚園/保育園→小・中・高等学校・大学→社会人→引退→死亡

という一方向・一本のフローに、全ての人が当てはまっている(当てはまらない人は取るに足らないザコ、もしくは天才である)ことを前提にしているのだなあと。

大学→社会人 というフローはあっても 社会人→大学 というフローはないし、 大学生かつ社会人 という状態もないので、未だ大学院に在籍中の自分は社会人ではありえない。

実際には一方向ではなくて逆戻りがあったり並列に進んだり繰り返しがあったりする人もいる(そもそもフローにすらなっていないかもしれない)し、そういう人が増えて許容される世の中になってきているようではあるんですが、

人間の思考や行動は言葉に規定されがちなので、多様性を否定するこの「社会人」という謎ワードが死語になる日を待ち望んでいます


まあどうでもいいや。